小径あるけば

ROCK大好き、GLAY大好き、映画、読書大好きな小径が日々の生活の中で、興味を持った色々な物や出来事、感じたことをとりとめもなく書いてしまいます。ルドルフ・シュタイナーやホメオパシー、フラワー・エッセンスなどももっと勉強したいと思っています。スピリチュアルな世界にも興味津々。とにかく楽しく笑って生きて行こう!!よろしかったらコメントして下さいね(^v^)/

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自分とは・・・
mixiの日記に書いたことですが
こちらにも載せます。


最近のマイ・ブームはアンジェラ・アキの「手紙〜拝啓15の君へ〜」です。

その中の歌詞で「自分とは何で どこへ向かうべきか 問い続けたら 見えてくる」という部分があります。

30歳のアンジェラ・アキさんが、きちんとこの言葉を公にできるのは
凄いな・・・と感じました。

この問題に最初につき当たるのが、おそらく思春期真っ只中の15歳なのであろうと思います。

私はまず最初のショックは14歳ででしたが
その次が15歳〜16歳。
もう何が何だかわからなかった。
あの頃にこんな助言をしてくれる大人が側にいたなら
あれほど苦しまなくて済んだかもしれないけど。

まあ、それは今さら言っても仕方ないことで。

それで、現在、おとなになってもやっぱりこの
「自分とは何で、どこへ向かうべきか」これは
人生最大の問題で、それを見極めるために生まれて来た
といっても過言ではないと思います。

今読んでいる本「自我の終焉〜絶対自由への道〜」クリシュナムルティ著
の中で今日読んだ部分から抜粋します。

・・・相手であれ自分自身であれ、理解しようとすることは凝視することである。そして、自分自身を理解しようとするためには・・・(←要約)

『もし、あなたが絶え間なく、継続して凝視することができるなら
あらゆる問題は表面的にではなく、根本的に解決されてしまうのです。
しかしこれは実に難しいことなのです。

というのは私たちはたいてい、その問題に解釈を加えたりせず
それを受動的に凝視していて、その問題自身に口を開かせることが
できないからです。
私たちはどのようにしたら、感情に走らずに、問題を見る事ができるのか分からないのです。

なぜそうなのかと言いますと、
私たちはその問題から結果や解答や結末を期待しているからなのです。
あるいは私たちの喜びや苦しみに応じて、
その問題を解釈しようとするからなのです。
そうでなければ私たちはその問題の取り扱い方について
あらかじめ答えを用意しているためなにです。

このように私たちは問題〜そして問題は常に新しいものです〜に古いパターンを持って接近するのです。
外部からの挑戦は常に新しいものですが
私たちの反応はいつも古いのです』

こうやって書き写すと難しいことのようですが
要は「外からやってくる、或いは身の回りに起こる問題は
いつも新しい形をとって私たちに襲い掛かるけど
私たちはそれに、いつもいつもこれまで対処してきた
古いパターンでしか対応していない」ということです。

だから、いくら奮闘して解決した!と思っても
また次々に新しい外形をとって問題は襲いかかってくるのです。

その問題の根本のところ、本性を掴まないと
問題は何も解決していない・・・ということです。

その問題の本性を知る、掴む、ということは
自分自身の本性を知る、掴む、ということとイコールなのです。

そのためには、ある問題が起こったら
これまでに自分はそういう問題にどんな対処をして来たのか?
これを掴まないといけません。
どんな反応をして来たのか?ということです。

『そしてその問題との関係の中で自分自身を知り始めたとき
つまりその問題に対応している過程で
私たちがどのように反応するか
あるいは私たちの偏見や欲求や追求しているものがどのようなのか
を知り始めたとき
この自覚が私たちの思考過程や、
私たちの内部の本質を開示することになるのです。
そしてそこに解釈が生まれるのです』

まずここから始まって、自分というものがどんな人間なのか
を知る事から全てが始まり
それを受け入れること。

こんなことは日常の瑣末なできごとには何の関係もないと
思われるかもしれませんが
殆どの人の日常生活上の問題はここから発生していると思います。

自分がどんな人間であるかも分からないのに
他の人のことなどわかるわけもない。

でも、「大人になる」ということは
相手の立場、他の人の立場になって物事を考えられるということです。
完全に理解できるはずはあり得ないのですが
全然わからなかったらお手上げ状態ですね。

人間関係のトラブル、そこから発生する不幸は
この「私」と「あなた」のどちらもが
何も分かっていない・・・ことが原因であろうと思います。
相手のことが分からないなら、せめて自分のことくらい
じっくり見つめてみたらいいかがでしょう?
そうしたら、問題解決の糸口が見つかるかもしれません。

そして、私自身もずっとずっと模索中です。

| komichi | - | 20:33 | comments(4) | - |


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