小径あるけば

ROCK大好き、GLAY大好き、映画、読書大好きな小径が日々の生活の中で、興味を持った色々な物や出来事、感じたことをとりとめもなく書いてしまいます。ルドルフ・シュタイナーやホメオパシー、フラワー・エッセンスなどももっと勉強したいと思っています。スピリチュアルな世界にも興味津々。とにかく楽しく笑って生きて行こう!!よろしかったらコメントして下さいね(^v^)/

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今、私なりに掴んでいること Ⅱ
それで何なのか?といいますと
「天国は一人ひとりへのオーダーメイドである」
と考えたこの思いつき、
まんざら間違ってはいなかったのだと最近わかってきたのです。

これまで読んできた多くの本の中で
多くの人が多くの主張をしているのですが、
最近それらがあるところで繋がってきたことに気づきました。

それは「ホ・オポノ・ポノ」の記事にも書きましたが、
私の人生は私の想いによって作られ、
想いによって変化する・・・ということです。

私が知っている人、
知らない沢山の人々にはみなそれぞれに人生があり、
それらは相互に複雑に絡みあって
世界=この世ができているわけですけど、
例え私が全く知らない所で知らない人が
どんな人生を送っているかは、私には関係がないのです。
つまりそれは存在していないのと同じ。

でもそれらのほんの一端でも、
ある事柄が私の人生に出現した時点において
それは初めて存在し始めるのです。

でもそれはたった今「存在し始めた」にもかかわらず、
そのこと自体は「太古の昔からすでに存在し続けていたもの」
として存在し始めるのです。
つまり私が「知った」時点から
そのもの、こと、人などが存在し始めるのですから、
それら全ての責任は「私にある」のだとわかったのです。

このことはシュタイナーの著書や
「神との対話」やエンデの「果てしない物語」
などにも書かれていたのですが、
その中でも人智学者の高橋巌さんが
ある講演で
「カルマとは、すべての物事が私の責任であると引き受けること」
だとおっしゃっていました。

私が行ったこともない地の果てで
一人の人が殺人を犯したとしても
私がそのニュースを知ったときから、
それは「私のせいである」ときちんと引き受けないことには、
私のカルマを解いていくことはできないらしいのです。

「こんなこと一体私に何の責任があるの!?」
と初めは思ったのですが
「このことは私とは何の関係もない」
と思った時点で私のカルマは残りつづける、
もしくは増えていくということが納得いくようになったのです。

そんなときに出会ったのが前出の
「ホ・オポノ・ポノ」の本で、
電車の中でたまたま向かいの席に座ってる人が
苦しそうに咳き込んでるのを私が見たとしたら、
私がそれを引き受けて私の中にある未解決な問題
(何百回もあったであろうこれまでの前世で私がしてきたこと、
しなかったことなどの多くの問題=カルマ)
に向かって「ありがとう、ごめんなさい、許してください、愛しています」を言い続けることによって、
私が癒され浄化されると
その向かいの席の人の咳が止まる、というのです。



この仕組み、本当によくできているのですね。
この世はテレビ・ゲームのディスクのようなものだと、
これも「神との対話」などに出てきてたことですが、全てはすでに存在し、これからも存在し続け、
過去も未来もない。
あるのは1秒ごとに私が進む方向を選び取る
「今」その瞬間だけなのだということ。

私はこれまでよく
「あ~あの時私があんなことしなければきっと今とは違った素晴らしい人生があったかもしれないのに・・・」
と考えては悔やんできました。

だけど過去のことについて
「たられば」の話はあり得ないともいいますが、
やはり最近私が「はた!」と気づいたことがあるのです。

「果てしない物語」の中にひとつの章が終わるときに
「けれどもこれは別の物語、
いつかまた、別のときにはなすことにしよう」
という文章が何度かでてきます。
この物語での内容と全く同じわけではないのですが、
私はこのエンデの文章によって
「人の人生もこうなのではないか?」と思ったのです。

つまり私が
「昔のあのときあの人の言うなりになっていなければ
こんな人生じゃなかったはずなのに・・・」
と悔やむその「別の人生」は
もしかしたらプログラムとして
ちゃんとそのディスクにすでに存在していて、
今回私はたまたまその道を選ばなかっただけだと考えたのです。

ややこしいかもしれませんが、
テレビゲームなどで1回目の挑戦は
この道を進んで失敗したけど、
やり直しのときは
「前回ここでこうしたから間違ったので、
今回はこっちに行ってみよう」
とかやるわけですね。
でもそれは、
ゲームをしてる人が自分で作り出してる道ではないわけです。

すでにプログラマーが
こと細かに作り上げた何百、何千、何億という
選ぶことのできる進む道が
すでにそのソフトに描いてあるのであって、
どれだけ新しい道を発見したつもりでも
失敗してはまたやり直し、
やり直し進み続けるその顛末は
すでにそのソフトの中に存在しているわけですから。

この世、この人生でさえがこんな仕組みですから、
きっとこの人生も私の想いで進む方向は変えられるわけだし、
あの世はもっともっと途方もないものだろうから、
私ひとりの小さな望みなどどんな風にもでもなる
オーダーメイドの国が天国なのだろうと最近思うわけなのです。

繋がったかな?(笑)
| komichi | - | 20:25 | comments(0) | - |
今、私なりに掴んでいること Ⅰ
これは私がホメオパシーのグループで発行している
「通信」に書いた文章ですが
ここにもアップしたいと思います。


 私は中学3年生の夏に突然「人は死んだらどうなるんだろうか?」と思い始めて大変な恐怖に襲われました。
挙句、救急病院に2度担ぎ込まれたのですが、
その時は両手両足が痺れて固まってしまい、
心臓は口から飛び出すかと思うほど打ったかと思うと次の瞬間、
いくら息をすっても空気が全く肺に入ってこないような感覚に陥り、
窒息してしまうのではないかと思うほどの苦しさでした。
首筋から後頭部には恐怖とともに冷たい冷気が這い上がってくるようでした。

 本人も家族もいったい何が起こってるのか
全然把握できないまま病院に駆けつけたわけですが、
医師の診断は別に深刻なものではなく
「何か悩みがあるの?」と質問されただけでした。
「悩み」って言われたって
パニックからまだ立ち直っていない状態で
何も考えられなかった私は
「死ぬのが怖い」とは恥ずかしくて親の前で言えるわけもなく、
取りあえず「高校受験が・・・」と答えてしまったのです。

 それから随分経ってからあの時の発作は
パニック障碍からくる「過換気症候群」
あるいは「過呼吸症候群」というものでした。
もしそうなったらビニール袋を口にかぶせて
吐いた息を再度吸う作業を繰り返したら治るものだったのです。

 ですが、その当時はまだ何のことやら・・・で、
私はこの時からずっと「死」というものを道連れに生きて来ました。

この世に生れて来た者は誰ひとり欠けることなく
いつかは死んでこの世からいなくなる・・・そう分かっているのに、
どうして他の人はそんな事実など
ありもしないかのような平気な顔をして生きていけるのか、
私には理解できませんでした。
ですけどその反面私はいつのころからかずっと自殺願望があって、
自分が18歳より先まで生きていることはあり得ないと思っていました。
だからと言ってそれを実行に移すわけではないのですが
あの頃の日記には「消えてしまいたい」
という文字がいたるところにあるのです。

 「自分で命を断つ」のと「消えてしまう」のとは結果は同じでも
そのプロセスは私にとっては違う意味を持っていたような気がします。

まあ、死ぬ勇気がなかっただけかもしれませんが
「もう死ぬかもしれない!」と感じたパニックのときの恐怖感は
忘れることもできないくらい鮮明に残っているのです。

では何がそんなに怖いのか?
と考えてもその理由はよく分からなくて、
ただひとつ考えついたのは
自分ひとりだけがこの慣れ親しんだ世界を後にして
全く未知のところ、
誰ひとり知った人もいない(もし人がいるとしても)
誰ひとり私を守ってくれる人もいないところに
行かねばならないのは、
まだ子どもだった私には最大の恐怖だったのだろうということです。

 ところがその一方で
私なりに考えていたことがあって、
もしよく言われるように「天国」というところがあるのなら、
そこはきっとこの「誰も私の好きな人がいない」
「私を好いてくれる人がいない」場所とは
たぶん正反対なのだろうと。

もし死んでも天国に行けたら幸せなようにきいているので、
その「最高に幸せな場所」って
どんなものなのだろうと考えました。
そうしたらそれは私が側にいて欲しいなぁ~と思っている人が
いつも側にいてくれること。
大好きな人たちに囲まれて楽しくしていることだと考えたわけです。

でも、ここで困ったことがひとつありました。
それは例えば、私は母には一緒にいて欲しいけど
母はその両親の子どもなのだから
両親は娘である母を側に置いておきたいと願うだろう。
またもし私が母より先に死んだら
私は母と一緒に天国にはいられないのだから幸せであるはずがないし、
だからと言って母に先に死なれるのも困るし
(これはあくまで子どもの頃の私の考えですからね)、
私が大好きな友達のAちゃんは私の側にいて欲しいけど
Aちゃんの別の友達だって
Aちゃんに側にいて欲しいと思うでしょう。

するとひとりの人があっちこっちに
掛け持ちで出演しなくちゃならないことになるし、
これが世代を超えてのことになったら
もっとややこしいからこれは大変だ!

そこで私が考えついた結果は、
きっと天国は人一人ひとりにそれぞれ一つずつあるのだろう・・・
というものでした。
私の天国は私だけの世界で、
ほかの人の天国はその人だけの世界。
それが何億、何百億、何千億とあるんじゃないかと思ったのです。
まあ、神様が一人ひとりそれぞれに住まいを作ってくれるようなものじゃないかと。

先ほど書いたとっても深刻な
パニック状態を引き起こした「死に対する恐怖心」と
こんなのんきな想像をしていた幼稚な私とが
常に同時に存在し続けたのですが、
これはその後もずっと、
大人になっても同じようなものでした。
「死にたい!」と願う私と「自殺したら天国に行けない」と信じてる私。「生きるのが辛い」と苦しむ私と、
ビートルズを皮切りに
いろいろなミュージシャンをキャーキャー言いながら
ミーハー的に追いかけて感激感動してる私と、
「もう死んでもいいなぁ・・・」と思ったこの夏の頃の私と
同時期に、グレイのライブ・チケットを必死で得ようとする私と、常に相反するふたつの柱を持ちながら、
私は生きてきたように思います。

| komichi | - | 20:21 | comments(0) | - |


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